Vol.7 医療従事者とのコミュニケーションにおける行動経済学 (後半)

 利用可能性ヒューリスティック

私たちが何かを判断するときには、2つの考え方があります。一つ一つ論理的に順序だてて考えるアルゴリズムと、すぐに手に入る情報や身近な情報などの手がかりを基にして結論を導くヒューリスティックと呼ばれる考え方です。

基本的に、医療従事者の治療に対する考え方はアルゴリズムに則ったものです。それは、こういう症状には「〇〇」という治療法が有効なので、それを適用するといった考え方です。たとえば、頭痛を訴える患者さんに対して、どういった状況でどのように痛むのかなど、詳しい情報を聞き、それをもとに最も有効と考えられる治療法を適用することです。しかし、患者さんの中にはヒューリスティックな考え方をされる方もいるかもしれません。病気を治したいという強い思いのために、十分な根拠が確立されていない健康法や健康食品などに強い関心をもつことなどは、ヒューリスティックな考え方の例と言えるでしょう。

しかし、病院で用いられている薬や治療法とは異なり、様々なメディアなどを介して見聞きする健康法や健康食品の中には、その効果の証明がきちんと行われていないものもあるかもしれません。気になる場合には、ご自身だけで判断せずに、主治医に相談してください。

一般的に、ヒューリスティックな考え方には、素早く物事の判断ができるというメリットがありますが、病気の治療のように、専門的で慎重な判断が欠かせないものについては、アルゴリズム的な考え方が大切だと言えます。

 サンクコストバイアス

たとえば、資格試験のために教材に高い費用を払い、余暇の時間を多く使って勉強に打ち込んだにも関わらず、何らかの事情で資格試験を受ける必要がなくなったとしましょう。そうした状況では多くの人は、資格試験の受験をやめることに強い抵抗を感じるのではないでしょうか。これは自分がそれまでに投資した金銭的、時間的、労力的なコストなどがもったいないと感じてしまうために、合理的な判断ができなくなってしまうというもので、サンクコストバイアスと呼ばれています。

こうしたサンクコストバイアスは、病気や治療に関することでも、ずっと続けてきたことを変える必要があるときなどに生じることがあるかもしれません。大切なことはサンクコストバイアスの存在を認識しつつも、それにとらわれず、「これからの自分はどうなりたいのか」を考えながら、医療従事者の助言に耳を傾け、必要な行動をとることだと言えます。

 現状維持バイアス

現在行っていることを変えることに抵抗を感じるという場合、その背景には、サンクコストバイアス以外にも、現状維持バイアスという心理も働いていると言えるでしょう。これは人間が元来もつ「変化や未知のものを避けて、現在の状況を維持したい」という心理傾向のことです。

たとえば新しい趣味にチャレンジしたいと考えたとします。実際に行動に移すためには現在の生活の中で、相応の時間やエネルギーを割く必要があり、大きな変化が生じます。そうした変化を避けるために、たとえ良い結果が起こることが予想できても、つい決断を先送りにしてしまうというものです。病気や治療などに関しても、何らかの変化やチャレンジのための一歩を踏み出せないというという場合、現状維持バイアスにとらわれてしまっている可能性があります。

サンクコストバイアスと同様に、この場合も現在の自分(現状)が判断基準となっています。大切なことは、「過去の自分」や「今の自分」ではなく「これからの自分」を考え、本当に自分が今すべきことを意識することです。病気や治療に関することであれば、主治医に相談して詳しい説明を受けることは、自分の正しい判断を後押しする大きな力になるでしょう。

いかがでしたでしょうか。治療する立場の医療従事者と患者さんでは、立場の違いなどから考え方に違いが出てきてしまうこともあります。患者さんは、治療法に対する不安や、治すためならどんなことでも試したいという気持ちなど、治療場面では複雑な気持ちをたくさん抱えていると思います。診察の際には、体調だけではなく治療について患者さんが考えていることや不安なども医療従事者に伝えることで、医療従事者は患者さんの想いに気づくことができます。お互いの考え方のズレを減らし、良好なコミュニケーションをしていくことで、患者さんも医療従事者も、お互いに安心して治療を進めていくことができるようになるでしょう。

公認心理師 橋本 空

参考資料

大竹文雄・平井 啓 (2018). 医療現場の行動経済学-すれ違う医者と患者-東洋経済新報社

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